「ガラスの靴」誤訳説について

「ガラスの靴」誤訳説について

追記 ペローが「シンデレラ」を発表した1697年、当時の最先端技術であり最高の贅沢品であった「ガラス」をふんだんに使ったベルサイユ宮殿「鏡の間」では、ルイ14世の孫の結婚式が開かれました。そんな年に出版されたのが「シンデレラ、または小さなガラスの靴」です。2016年7月10日

「ガラスの靴」誤訳説

ヴェルサイユ宮殿ができ、ヴェルサイユ文化とも呼ばれるフランス文化が花開いたころ、アカデミー会員のなかでも、革新的な立場、美文学の立場をとるペローが69歳のとき「シンデレラ または小さなガラスの靴」を発表しました(1697年)。

そのおよそ150年後、バルザックが、“Etudes Philosophiques sur Catherine de Medicis(1836)”(メディチ家のキャサリンに関する哲学的な研究 1836年)において、論理的に考えれば、薄皮でできていたと考えるべきで、ガラスとしたのは「誤訳」であると唱え、フランス語大辞典を編纂したリトレも、合理主義者・実証主義であることから「誤訳説」に立ち、とうとうブリタニカ百科事典が、シンデレラ物語の解説として「誤訳説」を掲載したことが決定打となり、「誤訳説」は、まことしやかな真実として、世界に広まっていったというのが、「誤訳説」が流布した真相と考えられます。

ペローも、リトレも、バルザックも、フランスのアカデミーの会員であり、フランスの当時の名士です。しかし、ペローの宮廷文化の時代から150年たった19世紀、バルザックやリトレが仕事をした時代は、すでにアメリカが独立しており、国内ではフランス革命が勃発し、ナポレオンはエジプト遠征に行き伝説の異文化の文物を持ち帰るなど、いっきにフランス市民の視野がフランスの「外の世界」に覚醒していった時代です。”啓蒙の時代”の出来事です。

バルザックやリトレの「誤訳説」は、少々強引に、今に時代を変換した見方をすれば、2010年の今に、1865年の名作、ジュール・ベルヌの「月世界旅行」について、その「大砲ロケット」は「理屈に無理がある」と指摘するようなもの。
職業作家としてのペローの意図は、もっと純粋なもの、みんなに楽しまれるようにまとめたものと推察します。

リトレやバルザックの「誤訳説」は、フランス革命の余韻がまだ残っている時代に生まれたものであり、日本でも、明治のはじまりに「廃仏毀釈」運動が起きたように、華やかな王政の時代の「有名なもの」を否定してみることが、新しい時代を開拓していくうえでの必要なセオリーだったというのが、コンフォートクックの考える「誤訳説」が登場した背景です。

この「誤訳説」についての考察は、ポール・ドゥラリュが「誤訳説」を否定した論説(1951)なども踏まえて、徐々に、もう少し踏み込んで、これからも紹介してまいります。ブログ”コンフォートクックの航海日誌”に掲載していきます。

なお、現在では、”誤訳説”は誤りで、ペローは自覚をもって「ガラスの靴」と書いたという説が「主流」になっております。

2010年11月18日

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