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一度、聞いてしまうと、もうアンインストールできない、不思議な力を持つ「シンデレラ物語」。 1836年、バルザックが「誤訳説」を流すなど、ちょっかいを出されることも多い物語。 その世紀末の1893年、Marian Roalfe Cox女史とAndrew Lang氏は、345のシンデレラに類する物語を収集した研究成果をまとめた本「Cinderella:Three Handred And Forty-Five Variants of Cinderella, Catskin And Cap O’Rushes」を出版しました。 19世紀末には「シンデレラ物語」は、国境のない、ユニバーサルな社会的な現象として、学術的な研究対象になっていたのです。 コックス女史の研究から間もなくのこと、日本の南方熊楠はアジアにあったシンデレラの類型の昔話を発掘し、「西暦九世紀の支那書に乗せたるシンダレラ物語」発表します(1911)。 中国の「葉限」です。
シンデレラがこれほどまでに世界中で愛される存在になったのは、「シンデレラ物語」と似た類型の昔話が、世界各地で700以上も採集されているほど、わたしたちの心の奥深くにあるものに触れるから。 その根底に「神話」とつながるものがあるからです。 「こころのDNA」に近い物語だったからです。 この日本でも、「米福粟福」がシンデレラ異文として知られています。 そうした昔話に流れる「神話」の精神が、シンデレラ物語のDNAになっています。 シンデレラ物語は、あなたの街の物語なのです。
しかし、無数にある昔話のなかで、「シンデレラ物語」は、どうしてこれほど世界中で愛され続けるのでしょう?
私たちには、幸運にも17世紀、シャルル・ペローがいました。 たとえば昔話「桃太郎」は、今も「昔話」として聞きます。 しかし「シンデレラ」は、どうでしょう。 自分を登場させませんか? シャルル・ペローは、「シンデレラ」を、“現実の社会”と“昔話のDNA”とが巧みにオーバーラップする物語へと再構成し、「シンデレラそして、小さなガラスの靴」を仕上げたのです。 誰しも「シンデレラ」を「昔話」として聞くのではなく、「自分」を投影して聞くようになり、アンインストールできなくなるのです。 こうして「シンデレラ物語」は、世界中の人々を世代を超えて魅了していく「現代の神話」になったのだと、コンフォートクックは考えています。
この「考察シンデレラ」は、シャルル・ペローへのオマージュです。シャルル・ペローの「シンデレラ物語」が、世の中を、ほわっと明るく照らしていった様子を少しずつご紹介します。

参考文献「The Home Treasury CINDERELLA OR THE LITTLE GLASS SLIPPER」
出版人 Joseph Cundall
発行社 Charles Whittingham, Chiswick Press
発行日 1845年
定価 不明
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Joseph Cundall氏 27歳のときの作品。 25歳からはじめた子供向けの出版「The HomeTreasury series」の一つとして出版された「シンデレラ または 小さなガラスの靴」。 Cundall氏の本は、美しいイラストレーションにもこだわったもので、当時の優れたアーティストに「イラストレーション」を依頼し、アーティストに仕事を提供しました。 いまもイギリスでは、出版史上、美しくデザインされた子供向けの本の一つとして、高い評価をうけております。 (この本の挿絵のカラーは、ハンド・ペインティングです。) →デジブックで公開中! |

参考文献 「世界童話名作全集(ペロー) シンデレラ姫」
編著者 川端康成
発行者 鶴書房
発行日 昭和28年(1953年) 12月5日
定価 160円
地方売価 165円
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川端康成53歳、代表作「雪国」(1935年-1948年)を書き終えた5年後の作品。 英訳が不可能と言われた「雪国」が翻訳出版されたのは1957年、その後、川端の海外での評価が一気に高まります。 そのはざまの時期の「シンデレラ」の仕事。 このとき川端康成は、日本ペンクラブ会長でした。 |

参考文献 「名作物語 シンデレラ姫」
著者 楠山正雄
挿絵 東郷青児
出版社 光文社
出版日 昭和22年(1947年) 2月5日
定価 55円
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東郷青児50歳ごろの挿絵 女性礼賛芸術と表現される東郷の絵。 絵画や版画の作品にとどまらず、プロダクト・デザインを手掛けるなど、揶揄する他人にとらわれず、自分に与えられた画才という神様のギフトをいっぱい使って、自らの人生を膨らませ、まわりの人を楽しませた人。 シンデレラの挿絵を引き受けた彼の真意は推し量るより ありませんが、昭和22年の正月をあけてすぐに発行されたこの本には、終戦の翌年には取り組んだであろうことから、当時すでに名声の人であった彼は、戦後の街中に、家庭に、笑顔が生まれるようにと、挿絵を担当することになったのだと推察します。 このころの暮らしがどうであったかは、同じく昭和22年に発行された、一介の英語教師、廣岩敬太郎氏の本「シンデレラ姫物語」の“はしがき”にある、いまだ遠い地での疎開が続く我が子への想いにあふれたこの物語の出版の理由からも読み取れます。 (この廣岩氏の本も、この後にご紹介します) |

参考文献 映画パンフレット「ウォルトディズニー シンデレラ」
ディズニー 1953年
日本での映画公開時のパンフレット(昭和28年)
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制作に6年もかかった不朽の名作。 18歳の女優ヘレン・スタンレイに演技をさせた実写版をつくり、その実写版を参考にして「アニメ化」を実現したもの。 ミッキーマウスとは別世界の、登場人物のリアルで繊細な動きの表現力は、こうした手間のかかる手法でしっかり実現されたのです。 1901年生まれのウォルト・ディズニーが成し遂げた仕事は、あまりに大きい。 ディズニーに匹敵する“20世紀の果実”は、「航空機」くらいかと思います。 ※ ディズニーが2歳のとき、ライト兄弟が人類初の動力飛行に成功しました。 |

参考文献「シンデレラ姫物語 英和対訳」
訳注者 廣岩敬太郎
出版社 白鳥社
出版日 昭和22年9月25日
定価 30円
紙に漉き込まれた、たくさんの細切れの藁(わら)が、ページをなぞる指の腹にごつごつあたる、ひどく紙の裏面に凹凸のあるわら半紙を使った、小さくて薄い、粗末な本。 上の東郷青児が挿絵を担当した本も同じく昭和22年発行の「わら半紙」製だけれども、東郷本は、藁とは思われないほどに残る藁片は小さく、紙の裏面も表面と同等の滑らかさがある良質な紙を使う本。(東郷はすでに著名人でした) 終戦後まもなく、東京に暮らす一介の英語教師が、熱い夢をもってこの「出版」という仕事にとりくみはじめ、一生懸命に、汗をかいて、推敲を重ねて、とうとう書き上げ、日本の未来を託す若い人たちに英語を好きになっていただきたいと願い、良質の紙が不足するなか、“英語教材”としての「シンデレラ姫物語」出版を、懸命に実現されたものと、手にとりページを繰るとき、伝わってきます。 戦後すぐの時期、高円寺のアパートで不自由な自炊生活に堪えながら、三河の山間に疎開したままの、もっとみじめな生活をおくっているだろうと想う3人のいとし子への直接かなわぬ、語りかけをするつもりで、情熱をかけて、全身全霊をかけて、作った本。 もっともこころが震えた本です。 ご存命ならと、ご子息はと、少しだけ探させていただきましたが残念ながらわからずじまい。 ただ、この本の「はしがき」はどうしてもしっかりご紹介したく、多くの方に知られることなくこの本の存在が消えていくことが忍びなく、「シンデレラ」にご興味のある方にこの本の存在を知っていただきたく、この教師の想いに触れていただきたく、この本の「はじがき」の“はじまり”と“おわり”のページを、今も著作権が存続していると思われますが、あえて掲載させていただきます。 ※ ご関係者のみなさま、もしこのページを見つけられましたら、ぜひご連絡をいただけますでしょうか。 |
ヴェルサイユ宮殿ができ、ヴェルサイユ文化とも呼ばれるフランス文化が花開いたころ、アカデミー会員のなかでも、革新的な立場、美文学の立場をとるペローが69歳のとき「シンデレラ または小さなガラスの靴」を発表しました(1697年)。
そのおよそ150年後、バルザックが、“Etudes Philosophiques sur Catherine de Medicis(1836)”(メディチ家のキャサリンに関する哲学的な研究 1836年)において、論理的に考えれば、薄皮でできていたと考えるべきで、ガラスとしたのは「誤訳」であると唱え、フランス語大辞典を編纂したリトレも、合理主義者・実証主義であることから「誤訳説」に立ち、とうとうブリタニカ百科事典が、シンデレラ物語の解説として「誤訳説」を掲載したことが決定打となり、「誤訳説」は、まことしやかな真実として、世界に広まっていったというのが、「誤訳説」が流布した真相と考えられます。
ペローも、リトレも、バルザックも、フランスのアカデミーの会員であり、フランスの当時の名士です。しかし、ペローの宮廷文化の時代から150年たった19世紀、バルザックやリトレが仕事をした時代は、すでにアメリカが独立しており、国内ではフランス革命が勃発し、ナポレオンはエジプト遠征に行き伝説の異文化の文物を持ち帰るなど、いっきにフランス市民の視野がフランスの「外の世界」に覚醒していった時代です。”啓蒙の時代”の出来事です。
バルザックやリトレの「誤訳説」は、少々強引に、今に時代を変換した見方をすれば、2010年の今に、1865年の名作、ジュール・ベルヌの「月世界旅行」について、その「大砲ロケット」は「理屈に無理がある」と指摘するようなもの。
職業作家としてのペローの意図は、もっと純粋なもの、みんなに楽しまれるようにまとめたものと推察します。
リトレやバルザックの「誤訳説」は、フランス革命の余韻がまだ残っている時代に生まれたものであり、日本でも、明治のはじまりに「廃仏毀釈」運動が起きたように、華やかな王政の時代の「有名なもの」を否定してみることが、新しい時代を開拓していくうえでの必要なセオリーだったというのが、コンフォートクックの考える「誤訳説」が登場した背景です。
この「誤訳説」についての考察は、ポール・ドゥラリュが「誤訳説」を否定した論説(1951)なども踏まえて、徐々に、もう少し踏み込んで、これからも紹介してまいります。ブログ”コンフォートクックの航海日誌”に掲載していきます。
なお、現在では、”誤訳説”は誤りで、ペローは自覚をもって「ガラスの靴」と書いたという説が「主流」になっております。
4年前にお会いした大学の先生からのお手紙。この4年間は、おたがい、先生にも、私にも、私的な事情から、何もできなかったのですが、ようやく今、ご紹介できる「時」がきました。
今、少しだけ以下にまとめました。どうぞご覧ください。 古いシンデレラの本です。今後ブログなどでも少しづつではありますが公開していきますのでお楽しみに…。(その先生のことも、みなさまにぜひご紹介をさせてください。「シンデレラ」って、やっぱり凄いのです。)
Message2 from Hi! COMFORTCOOK
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上写真は、18世紀末(1790年ごろ)の本 古い英語なので「ガラスの靴」は「Glafs flippers」と綴られます。(右頁上から3行目) この本が読まれた時代って?・・ バスティーユ牢獄の襲撃・・ フランスは王政廃止へ このころ一時的にフランスでは「時間」は10進法になりましたが、この本は、英訳されたイギリス版・・ 「the clock ftriking twelve」(左頁下から3行目) 12進法で時間が表現されています。 アメリカにワシントン大統領が誕生した時代の、シンデレラの本です。 |
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上写真は、19世紀初頭(1821年)の本 この本が読まれた時代は?・・ ヨーロッパはしだいに落ち着きを取り戻し、混乱はありながらも、繁栄の道をすすみ、人々の暮らしが、物質的に豊かになっていく時代・・ シンデレラの挿絵に「時計」がシンボルとして描かれました。 スチーブンソン等が開発に力を入れた蒸気機関車の鉄道が、公共交通機関として実用化していった時代です。 挿絵に、「時計」が登場した、シンデレラの本です。 |
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上写真は、19世紀半ば(1846年頃)の本 シンデレラの物語に、はじめて「大階段」が舞台装置として登場したのは、この本あたりからのようです。それ以前は、先の写真にあるように、シンデレラの「ガラスの靴」は、部屋の中で、脱げていました。 立派な、デザインされた”大階段”というシンボル・・ この本が登場した時代って? ・・ テムズ川の河畔に建つ英国議会議事堂「Houses of Parliament」が、ほぼ完成する時期に出版された本です。 ビッグベンの時計台は、この本の10年後くらいの完成です。 「時計」の精度もあがり、”正確な時”を刻みだした時代です。 イギリスは、自由貿易体制をとり、第一回「万国博覧会」を開催し・・ 世界のイギリスとして「繁栄」を謳歌していきます・・ しかし同時にディケンズの「クリスマス・キャロル」が発表された時代・・ 繁栄の「光と影」が社会に顕在化した時代・・ 美しくデザインされた”大階段”の挿絵が入ったこの本は、”夢の本”として、きっと当時の、多くの方々を励ましたことでしょう。 ちなみに、この本は、物語の最後の「挿絵」を、”登場人物みんなのハッピーエンド”というシーンでしめくくります。 ジョン万次郎が、アメリカで生活していた頃、ショパンが活躍した時代に、出版された”シンデレラ”は、『美しい大階段』と、『ガラスの靴』と、『みんなのハッピーエンド』が描かれた物語です。 |
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※ この「大階段」は、産業革命の成果、大量に作られるようになった「鉄の時代」を反映するもの。まだ鉄筋コンクリートは発明されていない時分のことです。デザインに、ほんのすこしアールヌーボーの兆しがみえています。ペローのシンデレラ物語は、いつもその時代の舞台にあわせてしまえる「現代の神話」なのです。
ガラスの靴とシンデレラ物語 上の「世界でもっとも有名な靴・・世界でもっとも見かけない靴」「もしガラスで作られた靴があったら」という文は、2003年夏、最初にガラスの靴を正式に発表した時、どうお伝えしようかと考えたメッセージです。 シンデレラ物語、不思議にもプロットの似た物語は世界中にあります。約300年前、ペローはそうした物語を基に「シンデレラ」をまとめあげました。シンデレラが世界各地の大勢の方々を何世代にもわたり魅了してきたことは、もしかしたら世界各地に共通するDNAをもつ物語として、ペローが予定しておいた思惑(トリック)だったのかもしれません。(※ペローには法律を学んだ建築家という背景があります。) それでもシンデレラ物語がこれほどまでに愛されるのは、そこに「ガラスの靴」が”存在”するからです。 「ガラスの靴という存在」 たった1つの存在が、シンデレラを世界の人びとの特別な物語にしました。 2002年、ガラスの靴を制作するにあたり、ガラスの靴のことばかり思いつめていた時期、1年たって2003年夏、「ガラスの靴という存在」にある”特異点”を見つけました。その特異点を、「たぶん世界でもっとも有名な靴 & たぶん世界でもっとも見かけない靴」と、メッセージの言葉に託したのです。 誰も本物は見たことないけれど、心には「ガラスの靴」のイメージがあります。初めてシンデレラ物語に出会う幼い時、以来、心のどこかにガラスの靴という存在はしっかりと根を張って、いつのまにか”具体的”に心に存在します。不思議です。小さい時、ガラスの靴は「かたち」があまりなかったように記憶します。なぜか大人の今、かたちが具体性をもち、しかし”なんとなく”のままになっている、そんなイメージ、ございませんか? 心に根を張った「なんとなく具体的なまま」の”ガラスの靴の存在”と、重さのある現実のガラスで作ったこのガラスの靴とが出会い、手に、心に、印象が刻まれる時、こころは「なんとなく具体的」を越えていきます。その時、その先に、特異点:「世界でもっとも有名な靴」&「世界でもっとも見かけない靴」という 1点を出発地点として、お二人のオリジナルの想い出(物語)が書き上がっていくことを願っております。 11th February 2006 from H.i.! |
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「シンデレラ または、小さなガラスのくつ」 ペロー童話 / エロールカイン 絵 ほるぷ出版 |
”お使いがシンデレラをすわらせ、ガラスのくつをさしだすと、シンデレラのかわいい足は、するりと、くつにおさまりました。” |
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”おねえさんたちは、すっかりおどろいてしまいました。それにもまして、シンデレラがポケットから、もいいっぽうのガラスのくつをとりだして、はいたときには口もきけないありさまでした。” |
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A FAIRY TALE BY CHARLES PERRAULT 出版 NORTH-SOUTH BOOKS |
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A Free Translation From The French Of Charles Perrault 出版 Aladdin Paperbacks |
"He had Cinderella sit down, and sliding the slipper on her little foot, he saw that it fitted her perfectly, just as if it had been made of wax. The astonishment of her sisters was great, but greater still even when Cinderella drew from her pocket the little slipper which she slipped on her other foot." 引用 「CINDERELLA or The Little Glass Slipper」 出版社: Aladdin Paperbacks, New York |
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