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ウェディングの外で ガラスの靴のアレンジ

ウェディングの外で ガラスの靴のアレンジ


幸せへの鍵を握る「ガラスの靴」。

このページは、ウェディングを越えた別世界での「ガラスの靴」の活躍の様子をご紹介します。
「ガラスの靴」に関心が向けられる世の中は、ちょっと良いベクトルにある。みんな が真正面から幸せをつかもうとしている世の中のあかし。 ・・ シンデレラ物語・・ たとえ今、自分に予定されていた未来よりも大変な毎日をおくることになった現実があっても、くさらずに、希望をもって、明るく毎日を一生懸命に生きていれば、いつか、とびっきりの幸せな人生の展開に巡り合い、幸せになる・・・ このストーリーを「幻想」と片づけないで、“魔法のシナリオ”とみていただいて、「ガラスの靴」に関心が向けられたのだから。

ガラスの靴のオブジェとして
ガラスの靴のシャンデリアが登場しました。2010年3月

ガラスの靴のシャンデリア


     



首都大学東京「The Brightest Award」にて

コンフォートクックでは、2006年より毎年、首都大学東京の大学祭「みやこ祭」にて開催されるミスター&ミスコンテスト「The Brightest Award」に協賛し、ミスコンテストのグランプリの方に、「ガラスの靴」を贈呈しております。(ミスターの方には、ゴブレットを贈呈) いっぱいの想いを胸に、当日、ご自身のスピーチ等をとおして、アピールをされるコンテスト出場者の方々は、それより以前から相当なプレッシャーがかかっている様子。その一連の選考プロセス・準備プロセスをとおして、自己を徹底的に見つめ、自己を鍛え、そして迎える当日、みんなの投票により選ばれる「グランプリ」受賞は、大きな栄誉。 その栄誉は、受賞された方の「矜持」となり、10年後、20年後に、大きく花開くことでしょう。このグランプリ受賞は、まもなく社会人デビューする、一人の学生に、大きな魔法をかけることになります。その魔法を永遠に解けない「ガラスの靴」にして、コンフォートクックは、受賞者の未来を祝福します。



映像image ガラスの靴+叶姉妹

2005年「シンデレラ物語」というイベントがあり、叶姉妹がプレゼンターを務められ、コンフォートクックのガラスの靴を受賞者に贈呈されました。
番組の最後のほうに、叶姉妹がガラスの靴を受賞者に手渡すシーンがありました。両手に持つガラスの靴の動画から、きっと、「サイズ」イメージをつかんでいただくご参考にしていただけるのではと、ご紹介させていただきます。(以前は動画配信していましたが現在は見ることができません、ごめんなさい。)(ガラスの靴本体のサイズは、上から見おろす視点のサイズで約15cmです。)
なお、使用したガラスの靴の箱(台座が映ります)は、紺色ベルベット・タッチ、リボンは銀色です。”ゴージャス仕様”にという主催者からの要望があって制作した特注仕様です。




白百合女子大学の白百合祭にて、Pure Lily Show 2004トロフィーに採用されました。

ガラスの靴 Pure Lily Show 2004トロフィー


Special Thanks: Miss. Moriyama

コンフォートクックを見つけてくださり、光栄です。
奇縁です。
いろいろ調べられて、そのうえでコンフォートクックを選んでくださったと伺い感激しました。
森山様の未来にエールを贈ります。

伊藤広道


ガラスの靴 Pure Lily Show 2004トロフィー   ガラスの靴 Pure Lily Show 2004トロフィー


一度、向き合っておきたい誤訳説
ヴェルサイユ宮殿ができ、ヴェルサイユ文化とも呼ばれるフランス文化が花開いたころ、アカデミー会員のなかでも、革新的な立場、美文学の立場をとるペローが69歳のとき「シンデレラ または小さなガラスの靴」を発表しました(1697年)。

そのおよそ150年後、バルザックが、“Etudes Philosophiques sur Catherine de Medicis(1836)”(メディチ家のキャサリンに関する哲学的な研究 1836年)において、論理的に考えれば、薄皮でできていたと考えるべきで、ガラスとしたのは「誤訳」であると唱え、フランス語大辞典を編纂したリトレも、合理主義者・実証主義であることから「誤訳説」に立ち、とうとうブリタニカ百科事典が、シンデレラ物語の解説として「誤訳説」を掲載したことが決定打となり、「誤訳説」は、まことしやかな真実として、世界に広まっていったというのが、「誤訳説」が流布した真相と考えられます。

ペローも、リトレも、バルザックも、フランスのアカデミーの会員であり、フランスの当時の名士です。しかし、ペローの宮廷文化の時代から150年たった19世紀、バルザックやリトレが仕事をした時代は、すでにアメリカが独立しており、国内ではフランス革命が勃発し、ナポレオンはエジプト遠征に行き伝説の異文化の文物を持ち帰るなど、いっきにフランス市民の視野がフランスの「外の世界」に覚醒していった時代です。”啓蒙の時代”の出来事です。

バルザックやリトレの「誤訳説」は、少々強引に、今に時代を変換した見方をすれば、2010年の今に、1865年の名作、ジュール・ベルヌの「月世界旅行」について、その「大砲ロケット」は「理屈に無理がある」と指摘するようなもの。
職業作家としてのペローの意図は、もっと純粋なもの、みんなに楽しまれるようにまとめたものと推察します。

リトレやバルザックの「誤訳説」は、フランス革命の余韻がまだ残っている時代に生まれたものであり、日本でも、明治のはじまりに「廃仏毀釈」運動が起きたように、華やかな王政の時代の「有名なもの」を否定してみることが、新しい時代を開拓していくうえでの必要なセオリーだったというのが、コンフォートクックの考える「誤訳説」が登場した背景です。

この「誤訳説」についての考察は、ポール・ドゥラリュが「誤訳説」を否定した論説(1951)なども踏まえて、徐々に、もう少し踏み込んで、これからも紹介してまいります。ブログ”コンフォートクックの航海日誌”に掲載していきます。

なお、現在では、”誤訳説”は誤りで、ペローは自覚をもって「ガラスの靴」と書いたという説が「主流」になっております。