- HOME
- プチギフトキャンディ トップページ ”ほほえみ”を生むハッピー・トークン

The supreme happiness of life is the conviction we are (one is) loved. Les Miserables: Victor Hugo
人生における至極の幸せは、愛されていると確信するこの時 レ・ミゼレラブル: ビクトル・ユゴー(訳H.i.!)
毎日ゆっくりと、しんしんと降り続ける雪が、ある日、いつのまにか背高く積もってしまったことに気づいた朝のように、1998年からスタートした「組飴」の仕事には、いつの間にか、試していないアイデアも、チャレンジしたいことも、そして、どうしても、できなくなってしまったことも、いっぱい、いっぱいのことが高く積ってしまい、これを見上げて、今は、ため息をつきます。
情熱をかけ、フロンティアとなって開拓した、「組飴の受注サービス」 いま飴の受注を一旦やめることを正式にご報告しなければなりません。フロンティアとして開拓した自負もあり、傾ける愛情もあり、はっきり「受注やめます」と言いたくなくて、ただ何年かの時間ばかりが過ぎてしまいました。しかし、決めなければならないのです。将来、この環境・状況が改善し、この壁へ立ち向かう、大きな情熱が戻る時まで、今は一旦、飴の受注をやめることを正式にご報告しいたします。
これまでコンフォートクックの飴を愛してくださったお客様には、感謝するばかりです。下の写真は、そのほんの一部です。飴の仕事には問題点がいっぱいありながらも、それでも前進できたのは、勇気を与えてくださり、一緒に走ってくださったお客様がいらっしゃったから。
このページは、コンフォートクックによる「キャンディ島」への冒険物語として、ご覧ください。
キャンディ島の冒険は、一旦、ここまでです。
コンフォートクックは、ふたたび新しい冒険を始めます。できることを最大限にしていくのです。そして「縁」とは不思議なもの。じつは、このWebサイト更新は、「キャンディ島」の冒険を始めるきっかけ、「組飴」に最初に出会った時に一緒だった、岡崎さんが担当してくれました。まったく不思議な縁です。そして、このサイト更新は、想定以上に、とてつもなく大変な仕事となりました。ありがとう。
そして、最も大切なことをご挨拶のしめくくりとさせていただきます。コンフォートクックの飴のお客様へ、コンフォートクックの冒険に一緒に参加していただき、「キャンディ島」を一緒に探検していただき、ありがとうございました。ほんとに、ありがとうございました。意を決して、「キャンディ島」を後にして、とうとう新しい冒険に出発する時が来てしまいました。これまで、ほんとにありがとうございました。
2010年11月 伊藤広道 追伸 いつか未来に、またよろしければ、コンフォートクックの新しい冒険に、一緒に参加していただき、新しい島を一緒に探検しましょうね。 |
|
![]()
「組飴」に出会ったのは1998年暮れ。
コンフォートクック創業間もない頃の寒い日の夕方のこと。師走の寒い日でした。まだ軒を連ねていた名古屋の菓子問屋街。そのなかに、時々立ち寄って懐かしい駄菓子を買わせていただく、Tさん経営の一軒の菓子問屋がありました。この日は、当時、手伝ってくれていた岡崎さんと来春に控えた仕事の準備にかけずり回っており、その途中、「頭の息抜き」にと立ち寄った菓子問屋「K商店」。ここで偶然、「組飴」に出会ったのです。
2時間後、帰る車中での会話は・・ “これは、みんなのデザインを募集して作ったら、きっと喜ばれる!”“自分たちの絵が、なにかしら製品になるって、印刷じゃなくて、「モノ」になるってことが、驚きのあること、楽しいこと!”・・
解決すべき課題は、すぐにわかりました。
「組飴のわかりやすい玄関を作ること、サービスをパッケージ化し、発注しやすいようにメニュー化すること」
当時、「組飴」は一般向けに流通しておらず、昔からの販路が主体。そのため菓子業界になんら接点のない「一般企業」や「個人」にとっては、千歳飴や、有名な金太郎飴(金太郎飴本店さんの登録商標)を通じて、この組飴の“ジャンル”をよく知ってはいても、日常生活には「存在しない」ものでした。みんなには「懐かしい飴」だったのです。当時の「組飴」の販路は、スーパーで開かれる催事の駄菓子コーナーか、あるいは菓子業界に接点のある、ごく限られた会社の「商品」として流通するのが典型的な販路でした。たとえば、有名TVアニメのキャラクター飴を、その有名アニメの「記念館」で「おみやげ」として販売するといった販路です。そのため、飴のデザインも、同じようなものが多かったのです。
そこで、コンフォートクックは、価格を体系化してわかりやすくし、また、飴をデザインしやすいようにデザイン要素を体系化し(飴のデザインって、誰にとっても初体
験!でワクワク)、サービスをパッケージ化したのです。
2005年生まれ












ネット上では、当時、唯一、金太郎飴本店さんが、金太郎飴(登録商標)のネット受注を、いち早く手がけておられました。新しい販路「インターネット」のわかりやすい玄関口として、金太郎飴というブランド・コンセプトの延長上にあるからと推測しますが、写真をお預かりして制作する「似顔絵飴」に力を入れ、アラブ王族からのオーダーがあったとの報告も掲載しておられました。金太郎飴本店さんは、いち早く、新しい販路の開拓に乗り出されていたのです。さすがです。
この金太郎飴本店さんのインターネット上のサービスは、私が「組飴」に取り組む姿勢・サービス内容を決めるのに、大変参考にさせていただきました。しかし、もし、わたしが「似顔絵飴」を手がけてしまっては、パイオニアである金太郎飴本店さんに無礼千万ですし、単に「模倣サービス」になってしまいます。
コンフォートクックが「組飴」のわかりやすい玄関口として「ハート」マークをイメージ中心に据えてバリエーション展開をしたのは、そうした背景もあってのことです。企業販促品としてのキャンディPRも、「似顔絵」でないものを推し進めていきました。
立体物を粒キャンディに表現した例 写真例は、制服のトンボ様のご依頼 |
||||
![]() |
![]() |
![]() |
||
モチーフは学生服の第二ボタン |
モチーフはトンボ社ロゴマーク |
|||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
こんな渦巻き状のものを作ったことも。 飴がガラスと似た性質を持つことを利用 |
![]() |
|
![]() |
![]() |
![]() |
← 初期のありがとう |
初期の四つ葉クローバー |
次世代の四つ葉クローバー | 最近の四つ葉クローバー | 四つ葉のクローバー 茎まで作ったことが 2000年頃からの 特徴です。 |
![]() |
![]() |
![]() |
|
![]() |
← 初期のWedding Ring 数世代後のWedding Ring → いま、 リングの中に文字が入ります。 |
![]() |
|
絵文字にチャレンジした頃
(2002年) |
|||
![]() ![]() |
|||
![]() |
林檎の輪切りを見せるアイデアは、2000年から。 |
トリビア: みなさんはこの「組飴」を“日本的なるもの””日本の伝統”とお考えではないでしょうか。でも、実は「カステラ」と同じです。もともとは海外から入ったものです。私が知るだけでも、今もアメリカ、オーストラリア、スペインに、
相当に精巧な「組飴」を製造する職人集団があります。
ところで日本人は「カステラ」が海外から入ったものだと知っています。なのに「組飴」については、“日本的なもの”“日本の伝統”という印象を持っています。これは、どうしてでしょう・・
「カステラ」とは違う運命をたどり、組飴に“日本的なるもの”という強い心象をどうしてもつに至ったのか、どうして・・
それは多分に、「金太郎飴」の貢献です。「金太郎飴」というネーミングと、切っても切ってもへこたれずに出てくる“強い子”に育って欲しいという願いを込めた、20世紀初頭にまで遡る「金太郎飴本店」さんの企画アイデア、その想いに由来し、それゆえに日本の大勢の方々に支持され、愛されてきたのです。
もとは単に「一粒の飴」です。しかし、その「飴」が世代間をバ
トンタッチする、愛される商品にまでなったのです。
「金太郎飴」というイメージ・リーダシップと革新、そして「金太郎飴本店」さんの、いかなる時も継続して続けてこられた一途の仕事の姿勢によって、”組飴”というジャンル全般の飴が、“日本的なもの”という文化的な音色をもつようになったのです。こうした事情から、“日本的なるもの”というイメージが宿ったのだと、わたしは理解しております。
なお、「金太郎飴」は登録商標(指定商品 飴、飴菓子、有平糖)です。登録商標「金太郎」は、1927年に、金太郎飴本店さんが申請し、取得されました。そして、今もこの登録商標の権利は有効に継続しております。戦前・戦中・戦後の激動の混乱期を乗り越え、ずーと登録商標を維持してこられたことは、決して生やさしいことでは
なかったでしょう。金太郎飴本店さんの「ご家族の意志の力」とその「仕事への矜恃」に思いを巡らします。
ちなみに登録商標「コカコーラ」が誕生したのもこの時期です(1919年)。
しかしコカコーラ社は当時すでに大きな“企業”でした。だから、「金太郎飴」の事実、これって、すごいことだと思いませんか!
じつは私も、最初「組飴は日本的なもの」と大いに勘違いをしました。そのためスタート当初は、将来の海外アピールをにらみ「Japanese Heart Candy」というネーミングをしたほどです。(正確には、1999年冬、ハートではなく、「Japanese ArtCandy」としましたが、2ヶ月ほどたって、登録商標に「アートキャンディ株式会社」があり(後年2001年に「アートキャンディ」も登録商標に)、これがアートキャンディ株式会社の登録商標とわかって、これはいけないことだと、すぐに「ハート」へと改めました。「ハート」である由縁は、前述のとおり)
トリビア話が長くなってしまいましたが、つまり、「金太郎飴」は、「ウオークマン」に匹敵する優れたネーミングであり、願いを込めた商品企画なのです。敬意を払いたい、日本の誇るべき、商品ネーミングと商品企画の「成功事例」であると、私は考えております。日本の社会がこの登録商標「金太郎飴」に敬意を払い、大切に扱っていくことを願います。
オリジナル・キャンディの過去


![]()
個人への販売については、1年ちかく、何百通と、サンプル・キャンディとともに「問い合わせ」への対応資料を送り届けました。しかし、どうしてか「個人向け」では、たくさんの資料を発送するも、1件もオーダーがきません。それでも資料を送り
続けるのですから、自分の中にわき起こる「疑問の声」を処理するだけでも、しんどいこと。そして1年近くたったころ、はじめて大阪のFM局にお勤めの方が、オーダーをくださいました。FAX注文です。入ったFAXを最初に見た当時のスタッフSさんが、驚きの悲鳴を上げるほど、それはターニングポイントとなる、大事な出来事でした。
それから、少しずつ、個人のお客様にも浸透していきました。熱狂的に喜んでいただける方も生まれました。
ある Q&Aサイト(Ozmall)では、お客様のなかに、ご自身がお持ちの余ったキャンディを、他の、興味をもたれて質問をされた、見ず知らずの方に、わざわざお届けいただける方もいらっしゃったくらいに、熱い流れが、「心のバ
トンタッチ」の流れが生まれまじめました。個人向けにも力を入れた最大の理由、「魔法”ほほえみ”を生むハッピー・トークン」としての成果が出始めた時期です。
ただ、じわじわと、何かがおきていました。
![]()
2001年、私が大病を患ってしまい、治療を受けた2002年以降、新しいチャレンジができなくなります。
そのなかでも、時には、こんな依頼もありました。組飴でない「立体キャンディ」の制作依頼です。
2004年春のこと、花王の化粧品AUBEの新作発表会のために、金型を駆使し、新作AUBEのリップスティックと同じ外観をもつ、立体キャンディをつくったのです。
花王の新作プレス発表会では、配られた資料バッグの底にこの3Dキャンディが入りました。そのため、あるファッション雑誌の女性記者は、「資料バッグ」の奥の暗がりをのぞき見て、今回は大盤振る舞いのたくさんの“新作AUBE化粧品サンプル”が入っていてラッキー!と勘違いをされ、帰宅し
て、鞄の中身を出してみて、はじめて一部が“キャンディ”と気づき、非常に驚かれたというエピソードをいただくほど、喜んでいただけました。
「相似形の立体キャンディを作る」というアイデアは、新作AUBEの広報戦略にあたり、花王内部の検討会で、“この新作のリップ、見た印象がキャンディみたいで美味しそう”・・という、たった一言のコメントから始まったそうです。
そして、そんなキャンディを「実現」できるのは、コンフォートクックだけだろうと、お声をかけていただいたのです。
(花王の方からは、後日、お礼状とともに、新作のAUBE化粧品を一揃えプレゼントしていただきました。過去の楽しいエピソードの一つです。じつは、遠い昔の会社員時代、当時はコンペティターであった花王にお邪魔し、また逆にご訪問をいただき、幾度となく真剣な特許協議をしたという昔の会社員時代の経緯もあって、この「AUBEキャンディ」の依頼は、個人的に、とりわけ感慨深いものがありました。)
















<









































2006年、医師も私も検査のたびに、今から思えば、大丈夫だと、そう信じたいという想いが盲点をつくったのだろうけど、普通じゃないと体感する「違和感」はあるのに、MRIの読影では何も発見されず、だからこそ、恐れいていたことですが、2006年夏になって、かなり大きくなってから「再発」は発覚し、間もなく放射線治療に入りました。仕事自体をかなり制限するよりしかたなく、この前後の時期では、キャンディの「味」もわからないほどの時がありました。(今は味覚も、ほとんど戻っています)
2002年の最初の治療以来、その前進はゆっくりとなり、徐々に「できないこと」が増えていきましたが、それでも、ゆっくり手探りで前進できたのは、やっぱりお客様の存在。そして、もし「ダメなこと」があってもチャレンジを許してくれたお客様の存在。
しかし、ふたたび2006年に大きな再発が確認され、2007年の丸1年ほど、治療に意識が向いている間に、あってはならないことが起き、状況が大きくかわってしまいました。(ちなみに食品事故ではありませんのでご安心ください。社会の理不尽なことのひとつです)
今、とうとう、「組飴」を、コンフォートクックが「責任」をもって、私が「自信」をもって、「熱意」をもって、「楽しくご紹介すること」は、どうにも、できなくなりました。今も「飴」について考えてきたこと、挑戦したいことは、山ほどあります。しかし、今、コンフォートクックの責任として、「キャンディ島」から一旦、離
れることにします。これまでコンフォートクックの飴を愛してくださって、ありがとうございます。 一旦、「飴」から正式に離れます。ありがとうございました。応援してくださったみなさま、ありがとうございました。
キャンディ島の冒険は、一旦、ここまでです。
コンフォートクックは、ふたたび新しい冒険を始めます。
できることを最大限にしていくのです。そして「縁」とは不思議なもの。このWebサイト更新は、「キャンディ島」の冒険を始めるきっかけ冒頭に触れた、「組飴」に最初に出会った時に一緒だった、岡崎さんが担当してくれました。まったく不思議なタイミングです。そして、このサイト更新は、想定以上に、とてつもなく大変な仕事となりました。ありがとう。
そして、最も大切なことを最後に。コンフォートクックの飴のお客様、「キャンディ島」を一緒に探検していただき、コンフォートクックの冒険に一緒に参加していただき、ありがとうございました。ありがとうございました。新しい冒険へと旅立つときが来ました。
またよろしければ、未来に、コンフォートクックの新しい冒険に、一緒に参加していただき、新しい島を一緒に探検しましょう。
2010年11月 伊藤広道











































