1963年 瀬戸市生まれ。
人生最初の転機は、矢沢永吉にはまったこと。みんなは似合わないというけれど、20年以上ずーとファンです。コンサートでは最前列の真中席に2回当たったことが矢沢ファンの間での私の自慢です。いつかお会いできたら・・・
学生時代は、機械工学専攻。そこで発明をしたのがすべての始まりでした。
卒業後、どうも就職する気になれなくて、バイトという道を選択しました。あのころはフリーターという言葉がなくて、”プー太郎”っていっていた。後に先の発明が縁で特許の仕事につきました。特許交渉を韓国財閥と行ったり、日本の代表的企業と行うなかで、活躍する先輩諸氏の仕事の姿勢を拝見し、真摯な影響をうけました。
1995年冬 そのころ神戸六甲道に住んでいました。阪神淡路大震災。周囲はほぼ倒壊。人生について、仕事について、大切なことは何か、どうしても真剣に追求しないではいられなくなりました。「いま」というこの瞬間がとても愛しくなりました。
そして、「コンフォートクック」という名を考え、その名のとおりの仕事をしようと決意し、以来、こころが揺れるときもありましたが、コンフォートクックを手探りで一歩一歩、カタチ創ってきました。
1998年秋 コンフォートクックにとり後に記念碑的な存在となるお客様、川崎のK様の挙式。横浜まで引出物を車で自分で納品に行きました。K様は瀬戸に5回も打ち合わせにいらっしゃった。考えればK様のようなお客様にずーと励まされてきた気がします。
1999年4月11日 初めての店舗を開店 その夏、川崎のK様が開店祝いに来てくださった。(いつかきっとK様との間で、また人生の邂逅が起こりそうな、そんな気がしています。)
2001年夏、恐れとともに自分は何かとんでもない病気にかかっていることを自覚。その秋、とうとう巨大な脳腫瘍が頭蓋底にあることがわかってしまった。直径約8センチ。余命宣告をうけた。でもネット時代。様々に調べアメリカの病院にもMRIフィルムを送ったりした。明日への糸口をみつけるために。
病気発覚後の仕事は、いろいろお客様のご希望に、きちんとこたえられたか心配。正直、このころのお客様にはご迷惑をお掛けした。北海道のN様のキャンディ制作では、ロリポップ混合制作に変更になったのに、そのことが実現できなかった。このころのお客様にはとてもエネルギーをもらった。病気に向かっていく希望をもらった。やらなキャ!って。
こんなこともあった。1年ほど前にキャンディ制作をされた東京のM様のお勤めの会社の代表が本を出版された。その方は、とても斬新な生き方をされる方。その方の息吹を感じられないかと、M様にサイン本をお願いできないかと、とんでもないお願いをした。快く受けてくださり、手術直前にサイン本が到着。一気に読んだ。「自由前進」という文字がサインの隣に添えられていた。その言葉「自由前進」は、何度も入院中、チューブだらけで体の自由が利かないとき、頭から2本のドレインがでていて動けないとき、リフレインすることになりました。
2002年4月10日 とうとう大きな摘出手術。東海地区では脳腫瘍患者のアンカーとなる大病院だったけど、そこでも1年に1回あるか無いかの大手術だったそうだ。店舗開店からちょうど満3年を迎えた日の手術。ちょっと不思議な暦のめぐり合わせ。しばらくして病理検査の結果、良性と診断され、余命はずーとあることが判った。ただ、名古屋にあった店舗は6月末に閉店し、会社を瀬戸に移転し、自然に囲まれたところで仕事をすることにした。
2002年9月 移転して早3ヶ月。自然のなかで仕事している。もっと早くからこうしてても良かったかもしれない。良い仕事をするために、コンフォートクックには、こうした環境がぴったりだ。こうしていると、とても大きなギフトを神様からもらった気がする。
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