- HOME
- About us

【cook】 1:to undergo the action of being cooked 2:to perform, do, or proceed well 1:料理をつくること 2:楽しく演奏すること、楽しく続くこと 【Cook, James】 1728-1779 English navigator, explorer; explored Pacific Ocean ジェームス1728-1779 イギリスの航海者、探検家; 太平洋を探検した。 |
||||||
新たな旅立ち 「魔法とは、あなた自身を信じること」 コンフォートクックは、新たな航海に出発します。 旅の目的は、もちろん希望の宝箱。 どこかに希望の宝箱があると信じて、ふたたび新たな冒険に出発します。 希望という大海原の探求は、時間を超えて、空間を超えての大航海。 航海の途中、遠目に美しく見える島を発見しても、近づいたら、座礁しそうで、上陸できないこともあります。 上陸した後も、滝壺に落ちたり、時には毒蛇にかまれたり、困難な時期もあります。 しかし、いつも信じていると、どうにか壁を乗り越えます。 信じていると、早い時期に、どこともなく一緒に冒険をしてくれる応援者が現れてこの探検は一気に前進します。 そうして発見した「希望の原石」をコンフォートクックは責任をもって磨き上げ、「希望の宝箱」に仕上げて、お届けいたします。 ただ、コンフォートクックができるのは、ここまで。 宝箱を開けるのは、あなた自身。 「魔法とは、あなた自身を信じること」 コンフォートクックは、あなたがご自身に魔法をかける時、その手に握る、ふさわしい宝物をお届けします。 あなたも、この航海にぜひ参加してください。 一緒に歩いて、時には走って、あなたの宝箱を一緒につくりましょう。 楽しい想い出、すてきな時間がいっぱい生まれますように! |
||||||
2010年11月 伊藤広道 追伸 開いた宝箱、大事してくださいね。 |
||||||
![]() |
||||||
To Esther
From Aunt Emma Christmas 1903 |
||||||
上の写真は、本の扉に書かれたメッセージ。 1903年のクリスマス、アメリカのどこかの街で、一人の女性が姪に贈ったクリスマスのプレゼントは、1冊の本「シンデレラ小さなガラスの靴」 |
||||||
![]() |
||||||
クリスマスの夜、叔母から贈られたシンデレラ物語を小さな手に握り、読み進むその子が、「美しいドレス」を想像し、「ガラスの靴」を空想し、「カボチャの馬車」を想像し、「舞踏会」を空想し、「王子様」を想像した、この1903年のクリスマスの夜は、この子に魔法がかかった夜。 どんな朝をむかえ、どんな毎日がはじまり、どんな人生を歩んだかは知るよしもないのですが、このクリスマスの夜のことは、「宝物の想い出」として、生涯、幾度となく思い出して、時には笑顔を取り戻したことでしょう。 「宝物の想い出」は、無力な時には、寄り添い「力」になってくれます。 元気な時には、「力」をこめて、ぐっと背中を押してくれます。 「魔法とはあなた自信を信じること」 コンフォートクックは、あなたがご自身に魔法をかけるとき、その手に握っている宝物をお届けします。 あなたの未来に、いっぱいの「宝物の想い出」が誕生しますように! |
||||||
店主 伊藤広道 |
||||||
下の写真は、今から100年近く前に、イギリスのどこかの街で、一人の父が9歳になる息子Williamの誕生日にプレゼントした本。上の写真はその表紙に書き添えられたメッセージ。 |
||||||
|
||||||
この本は不思議。1世紀がたった今夏オックスフォードの古本屋で見つけられ、そして私にギフトとしてプレゼントされた。めぐってきたんだと思う。 この本は、コンフォートクックが追求するギフトの本質を、わかりやすい事実として見せてくれている。ギフトの原点みたいなところをストレートにもっている。コンフォートクックがコーディネートしたギフトがきっかけとなり、素敵なコミュニケーションが生まれ、物語がつくられたら・・いつもそう考え、追求してきた。だから、この本を受け取ったとき、あらためて「ギフト」のもつ素晴らしさに感動した。この本は、まさに「体」で味わうギフトだ。 コンフォートクックがずーと言ってきたことの一つに「キャプテンJames Cookは太平洋を冒険しました。COMFORTCOOKは快適という名の大海原を探求します。」という宣言があります。 この本は、コンフォートクックのギフトの本質をついているし、同時に、それがクック船長の本であることが、すごく一期一会のめぐり合わせと感じてしまう。不思議でならないんです。 |
||||||
店主 伊藤広道 |
||||||
コンフォートクックでは、「人」が創りだすものにこだわって、陶芸・ガラス工芸家・ユニークな飴職人の作る品を企画・販売しております。 ウェブサイトでは、準備のできたものから、ゆっくりと、素敵な器やオブジェをご紹介していきます。おすすめの厳選品は1品からご購入をいただけます。オリジナル制作も可能です。実際にウェディングや企業記念品としてコーディネートしたオリジナル作品もご覧ください。私たちがコーディネートするのは、特別な日に特別な想いを手渡しする引出物記念品です。作家があなたのために制作する「心に手応え」のある品です。 店主である私は、4年前まで某外資の知的財産権部に勤務しておりました。生まれ育った焼き物のまち瀬戸に帰り、目標として、陶芸・ガラス工芸の作家プロデュースを目指しました。瀬戸という地の利、知財マネージメントの経験、外資でのグローバルな実務経験を踏まえてのことです。目標とする私の役割が、はたしてお客様や作り手の方にメリットがあるだろうかということも、何も、わかっていませんでした。 あれから、ずいぶんと時間がたちました。揺れながらも、日本内外の作家とお客様とのベストマッチングを物理距離を越えてコーディネートできる関係が生まれてきました。陶芸・ガラス工芸家・ユニークな飴の職人たちと公私共に交流するなかで試行錯誤を経て、コンフォートクックは、工芸家が作品を制作・発表する新しい舞台と、舞台を楽しむお客様の新しい観客席という関係性を、まず店舗で、これもまだ少しですが実現してきました。その運営をウェブでも開始します。 |
||||||
店主 伊藤広道 |
||||||
コンフォートクックでは お二人の幸せが皆様につたわる記念のお品を追求しています。 お二人をこれまで支えてくれた方々に、 きのうまでの感謝をつたえ明日からのお二人の幸せを約束するお品、引出物。 制作するのは私たちがセレクトした作家や職人そして美術館です。 お品選びはお二人のアイデアにてご自由に。 ご注文からお届けまで私たちが心をこめてさせていただきます。 「引出物」はその昔、主人が愛馬を引き出して来客に贈ったことが由来だそうです。 「贈る」という習慣の始まりは古く、魏志倭人伝や古事記、新約聖書などにも記録があります。 もっとも、ずっと遡って人がグループとして生活してすべてのものが共有であった太古の昔には「所有」という概念がないので、贈りものもなかったようです。 人が個人としての気持ちをもつようになって初めて、気持ちを伝えるために「贈りもの」が生まれたのではないでしょうか。 先方に喜んでいただけるだけでなく、贈り主の人柄がでてくるような贈りものをしたいですね。 |
||||||
店主 伊藤広道 |
||||||
どうしたら皆さんに喜んでいただける引出物が選べるの? 考え込んでしまう難しい問いです。招待客の方々は年齢も生活スタイルも好みもみんな違うのに、"みなさんに喜んでいただける一品"を選ぶのですから。 この難問に理性や理屈で迫れば迷宮に入ってしまいます。あるいは選ぶことを放棄してしまうか! 私がお伝えしたい答えは、あなたが気持ちいいと反応したものを素直に選びとっていくことです。あなたが気持ちいいという体験は、おそらく隣人にも気持ちよく体験できるものです。たとえば、お風呂に入るって気持ちいいですね。きっと誰もがうなずくことでしょう。お風呂は理屈抜きで気持ちいいからです。私はこれをお風呂の法則と命名します。お風呂の法則によれば、あなたの心が気持ちいいと反応したものには周りの人も少なからず同じような反応をするのです。あなたの何気ない日常の感覚を信じてください。そうして選びとった引出物を通してこそ、あなたの想いは招待客の方々に伝わるでしょう。 コンフォートクックは気持ちいい素材をお客様に提案することをミッションとし、 その素材が一つ、リビングに加わるだけで場の空気に味付けができる"空間の料理"が実現できたらいいな、という個人的な思いからスタートしました。 あなたは過ぎていく日々のなかで、どんな気持ちいいことを発見していますか? 気持ちいいことをたくさん発見して、ぜひ周りの方々にも伝えてください。 |
||||||
店主 伊藤広道 |
||||||
1963年 瀬戸市生まれ。 人生最初の転機は、矢沢永吉にはまったこと。みんなは似合わないというけれど、20年以上ずーとファンです。コンサートでは最前列の真中席に2回当たったことが矢沢ファンの間での私の自慢です。いつかお会いできたら・・・ 卒業後、どうも就職する気になれなくて、バイトという道を選択しました。あのころはフリーターという言葉がなくて、”プー太郎”っていっていた。後に先の発明が縁で特許の仕事につきました。特許交渉を韓国財閥と行ったり、日本の代表的企業と行うなかで、活躍する先輩諸氏の仕事の姿勢を拝見し、真摯な影響をうけました。 1995年冬 そのころ神戸六甲道に住んでいました。阪神淡路大震災。周囲はほぼ倒壊。人生について、仕事について、大切なことは何か、どうしても真剣に追求しないではいられなくなりました。「いま」というこの瞬間がとても愛しくなりました。 そして、「コンフォートクック」という名を考え、その名のとおりの仕事をしようと決意し、以来、こころが揺れるときもありましたが、コンフォートクックを手探りで一歩一歩、カタチ創ってきました。 1998年秋 コンフォートクックにとり後に記念碑的な存在となるお客様、川崎のK様の挙式。横浜まで引出物を車で自分で納品に行きました。K様は瀬戸に5回も打ち合わせにいらっしゃった。考えればK様のようなお客様にずーと励まされてきた気がします。 1999年4月11日 初めての店舗を開店 その夏、川崎のK様が開店祝いに来てくださった。(いつかきっとK様との間で、また人生の邂逅が起こりそうな、そんな気がしています。) 2001 年夏、恐れとともに自分は何かとんでもない病気にかかっていることを自覚。その秋、とうとう巨大な脳腫瘍が頭蓋底にあることがわかってしまった。直径約8 センチ。余命宣告をうけた。でもネット時代。様々に調べアメリカの病院にもMRIフィルムを送ったりした。明日への糸口をみつけるために。 病気発覚後の仕事は、いろいろお客様のご希望に、きちんとこたえられたか心配。正直、このころのお客様にはご迷惑をお掛けした。北海道のN様のキャンディ制作では、ロリポップ混合制作に変更になったのに、そのことが実現できなかった。このころのお客様にはとてもエネルギーをもらった。病気に向かっていく希望をもらった。やらなキャ!って。 こんなこともあった。1年ほど前にキャンディ制作をされた東京のM様のお勤めの会社の代表が本を出版された。その方は、とても斬新な生き方をされる方。その方の息吹を感じられないかと、M様にサイン本をお願いできないかと、とんでもないお願いをした。快く受けてくださり、手術直前にサイン本が到着。一気に読んだ。「自由前進」という文字がサインの隣に添えられていた。その言葉「自由前進」は、何度も入院中、チューブだらけで体の自由が利かないとき、頭から2本のドレインがでていて動けないとき、リフレインすることになりました。 2002 年4月10日 とうとう大きな摘出手術。東海地区では脳腫瘍患者のアンカーとなる大病院だったけど、そこでも1年に1回あるか無いかの大手術だったそうだ。店舗開店からちょうど満3年を迎えた日の手術。ちょっと不思議な暦のめぐり合わせ。しばらくして病理検査の結果、良性と診断され、余命はずーとあることが判った。ただ、名古屋にあった店舗は6月末に閉店し、会社を瀬戸に移転し、自然に囲まれたところで仕事をすることにした。
|
||||||
![]() |
||||||
講演: 1995年「特許情報戦略」特許情報フェアー (主催;日刊工業新聞社) 論文: 1987年「形状記憶合金エンジンの基礎研究」日本機械学会論文集 1988年同海外頒布版日本機械学会論文集 |
||||||
|













